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さて、和歌浦に向かうぱいんですが、実はこれも最初からの計画ではなくて、
初詣に向かう車の中、母がふと言ったのです。
「そういえば、和歌浦に古い石の橋があるって、
この間、ラジオで言ってたでぇ!」 と。
で、和歌浦なら紀三井寺からすぐ近くなので、
行ってみようということになったのです〜(^。^)
| 不 老 橋 1850年に完成したアーチ型の石橋。 徳川家康を祀る東照宮(日光の東照宮ではありませんよ〜^^ゞ ここからもうちょっと行った所にある東照宮です!)の祭礼である和歌祭のときに、徳川家や東照宮関係の人々が東照宮御旅所に向かうために通行した「お成り道(おなりみち)」に架けられたそうです。 |
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| 橋台のアーチ部分は肥後熊本の石工集団が施工し、匂欄(こうらん)部分には、雲を文様化したレリーフが見られます。(写真では分かりませんよね〜^^;) ちなみに、江戸時代のアーチ型石橋は、九州地方以外ではとても珍しいそうですよ!(^^) |
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そうですよね〜〜〜(^o^)丿
和歌山といえば、御三家で有名ですもの!
でも、ここ和歌山にも東照宮のあること、
恥ずかしながら、ぱいんは知りませんでした〜(^^ゞ
| エラそうに東照宮の説明など書いておりますが、実は、この東照宮、駐車場が初詣客の車でいっぱいで入ることができなかったのです〜(>_<) よって、この説明は帰ってきてから調べたものです。逃した魚は大きいともいいますが、なかなか見所いっぱいのところだったようです! |
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| こちらの方は、また近いうちに必ずやレポートいたしますので、今しばしお待ちくださいませ〜 | |||
| 山部赤人の歌碑 若の浦に 潮満ち来れば 潟を無み 葦辺(あしへ)をさして 鶴(たづ)鳴き渡る 和歌の浦に潮が満ちて来ると、干潟が無くなるので、葦の生える岸辺を目指して鶴が鳴き渡ってゆく。 神亀元(724)年、聖武天皇の紀伊国行幸に同行した際に詠んだお歌だそうです。目の前に、ぱぁ〜っとパノラマが浮かぶような、とっても美しいお歌ですよね〜〜〜(^。^) が、今ぱいんの目の前のある風景とのあまりのギャップに、しばし呆然としてしまいました〜(>_<) |
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| ここ和歌浦を一躍有名にしたのが、この山部赤人のお歌です! 赤人は、系譜については全く不明なのですが、万葉集に、長歌13首、短歌37首が収戴されている柿本人麻呂と並び称される歌人です〜(^o^)丿 この、万葉の「若の浦」は、平安時代に入って「和歌の浦」となり、歌枕の代表として、近世の終わりまで無数の詩人たちが詩的イメージを生んだそうでございます〜〜〜(^。^) |
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この赤人の歌碑からすぐ横に目を転じれば、
なんと、「玉津島神社」があるではありませんか〜〜〜!
皆さま、憶えておいででしょうか・・・?
あの紀三井寺の結縁坂での出会いにより、
めでたく紀伊国屋文左衛門と結ばれた、あのおかよさんの実家ですよぉ〜(^。^)
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| このように美しかった頃の和歌浦を見たかったものですね〜〜〜(^。^) | |||
かつての玉津島の面影を残す妹背山は、不老橋のすぐそばに浮かぶ、
小さな小さな小島です!
ここにも面白い発見がありました〜〜〜♪
こちらの方は、また次回にお話したいと思います〜(^。^)
あともう一回だけ、この初詣紀行にお付き合いくださいませ〜!
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